書き出しなので、読まなくて良いよ
心穏やかに過ごしています。
何かをしてやろう、何かを残そうとして過ごすのは、いいんだけどそれに拘らなくてもいいな〜と最近気づきました。
すごいことを成し遂げるには経験や準備を積むことが必要だけど、経験値は貯めてコレクションして楽しむものではなくて、あくまで結果として残っているもので、例えるならソシャゲの全然見ない勝手に溜まってく勲章(?)みたいなページのようで…。
たとえば初めは好きで見ていた映画なのに、映画好きというプロフィールが追加されたために映画を見ることが課題になったり、また、映画を見ることでいつか役に立つだろうなと打算して見るときというのは、とても疲れます。
目の前の事象を見栄に左右されずに満喫するようにしたいなということです。
そして、満足した先に負担のない目標ができるのは逆に気持ちがいいなと思うんです。モチベーションの維持?
痩せたいから節制するじゃなくて、
体が重いから肉を減らす。
料理上手になりたいから練習するじゃなくて、
おいしいごはんが食べたいから練習する。
理想の自分というのは自分を客観的にみるせいで、それはつまり他者からこう見えたい、と思うことになってしまうと思います。
でも私という人間はパッケージ化されているのではなく、いつまでも未完成で流動的なものなので何をいくつ詰めて蓄積したからといって変わるわけじゃないです。
「良い人」「悪い人」なんて決められない。
そこにあるのは、選択の連続のみで、毎度の選択に善悪はあれどそれをいくら積んだからといって善人悪人の烙印を押されるようなことはないです。
だから、良い人であろうとしなくてもいいし、自分が楽しいと思うことをして、選択の際にはそのとき1番良いと思うものを選べばいいと思いはじめてからとても楽です。
ぼんやりとこうなりたい、じゃなくて、これをできるようになりたい、と細かく目標を設定するのもコツだなと思いました。
SNSでいくらでも分離した自分の人格を意図的に作れる今だから、作り出された人格に夢を抱いてしまうんだよね。
写真なんかつけれちゃうからリアルで、もしかしたら実現できると、なんなら演出してやろうと、そう思うから結構つかれてしまってたんだなーとおもいます。